正しい知識を身につけることの大事さ
ボサノバフルート奏者 ● 赤羽泉美
〇 きっかけは保健師さんの一言
29歳のある日、乳がんになる夢を見ました。そのままにはしておけないな、と思い自費で乳がん検診を受けました。そのとき対応してくださった保健師さんから「いま、20代~30代の人に子宮頸けいがんが増えているの。2年に1回の検診をぜひ受けてみてくださいね。」とアドバイスをいただきました。言われるがままに、翌年から子宮頸けいがん検診を受けることに。
〇 2回目の検診後に届いた「要精密検査」の知らせ
保健師さんのアドバイスをもとに2年に1回の検診を受けていると、2回目の検診後に思わぬお知らせが届きました。そこには「要精密検査」の文字が。人間、そんな結果が入っているとは思わずに封筒を開けるものです。本当に驚きました。私が検診を受けていたのは相澤病院健康センターだったので、すぐに相澤病院産婦人科の予約を取ってもらいました。
〇 精密検査~手術へ
検診で受けていた「細胞診」ではなく、精密検査では「組織診」でした。少し痛かったのを覚えています。痛かったのと同時に、どんな結果が出るのか非常に怖かったです。検査後2週間ほど経って聞いた結果は“自分にとって”残念なものでした。「高度異形成 」という、癌 の一歩手前の細胞が見つかったので、手術が必要です、と。
検査結果を聞いてから手術を受けるまでには、2か月半のあいだが空きました。この間がとにかく不安だったのを覚えています。1日でも早く手術してほしい、という思いでした。
〇 3泊4日の手術~2週間で復帰
手術は「円錐切除術 」」で、子宮の入り口を円錐型に切りながら焼いていく、というものでした。入院は3泊4日でした。術後「安静に」と言われた期間は2週間で、そのあとすぐに演奏の現場に復帰することができました。レコーディングの現場にも、1か月で復帰できました。
〇 10年経って、いま思うこと
手術を受けたのが2013年。あっという間に10年の月日が流れました。10年前に自分が残念に感じた検査結果が、じつは早期発見でラッキーなものだったと、今ならわかります。でもそれは、子宮頸けいがんについて正しい知識を身につけたから。知らずに怖がるのではなく、きちんと知ることがいかに大事か。これからも、そのことを多くの人に伝えていきたいと思っています。
赤羽泉美 <プロフィール>
profile
ボサノバフルート奏者。長野県辰野町出身。
ブラジル音楽専門ピアニスト今井亮太郎氏との共演をきっかけにブラジル音楽に出合う。
2014 年アルバム『ホワイト・ボッサ』でメジャーデビュー。その後2
枚のソロアルバム『ソライロ・スコープ』『羽色』をリリース。特に、日本を代表するジャズトランペット奏者・島裕介氏プロデュースのもとコロナ禍での制作・発表となった『羽色』は、専門誌「JAZZ
JAPAN」において「コロナ禍の今、みんなが求めている音楽の答え」との評を得る。
また、子宮頸がん予防啓発活動にも積極的に取り組み、演奏活動を通して自身の経験を語るほか、長野県子宮頸がん予防啓発活動「愛は子宮を救う」へ応援曲『風のステンドグラス』を提供。ABN 長野朝日放送「信州がんプロジェクト」CM ソング『両手』を提供。